プロレス初心者によるプロレス感想日記(超絶長い)

今日人生初めてのプロレス観戦に行ってきました。

 

わたしとスポーツと言えば「負の感情」という意味ではきってもきれない存在。

小さい頃から親に体操教室に通わされても飛べない跳び箱(三段)、

小中学校の全員リレーでは頑張って走ってるのにクラスの男の子に「真面目に走れ!」と叫ばれ「真面目にやってるんですけど!!!!(涙)」と叫びながらどんどん抜かされる悲しさを体験、迷惑をかけたくないのに無理やり全員で走らされるシステムに怒り心頭…。

運動部を避けて避けて避けまくって金管バンド部からの美術部からの軽音部、

高校の体育では泣く泣く選んだマットで第一関門の壁倒立ができず

先生にできるまで一生壁で倒立の練習しとけと言われて数カ月間、

ひたすら友達もいない壁で一人で倒立を繰り返しても結局できない…

後ろ周りなんて出来るわけもなく前回りと開脚する前回りだけで乗り切ったテスト…

 

どれだけ説明を受けてもルールと用語が覚えられず全く関心を持てない野球、

新聞社でバイトしていた時は甲子園の記事が来ると文章を読んでも専門用語が多すぎて意味がわからなさすぎるため、自分のところに野球の記事が流れてこないようにいつも心で祈っていた…

 

テニスもバレーもバトミントンもやっては見たもののとにかく手にボールが当たらない、ラケットに当たらないからサーブが出来ず、対戦相手とペアの相棒に迷惑をかけ続けて敗北の流れにうんざりして逃亡。特にバレーはサーブをミスして謝る以外は全力で存在感を消すことと自分のところにボールがこないように祈る作業に徹していたわたし…。大学でも体育をとらなきゃなんなくてバトミントンを選んだら、サーブをする姿を見た先生に失笑されるわ、太極拳では体の硬さに驚かれ一番前の列に呼ばれ先生の目の前でやらされる…などスポーツをすることにはとにかく嫌な感情しかありません。

中国で暇すぎて始めたジムも一ヶ月も行かずに終わったしな…

友達に「今日ジムいこ!」と言われるたびに「体調悪い」とか「宿題多いから…」とか適当な理由つけて必死にさぼっていました。さぼる理由を考えるのに毎日全力だったし、努力の甲斐なく連れていかれてしまった時にはジムに入って準備体操をしている段階で一秒でも早く帰ることばかりを考える始末。痩せたいけど運動だけはなにがあってもしたくない(無理)

 

そんなわたしなのでスポーツを見ることすら全然好きじゃないんですよ。

っていうか、わかんない、わかんないのよ、その、スポーツをするその情熱!

みたいなのとか、チーム!!!!みたいなものが全然わかんないわけ。

自分がやったことないし、チームってわたしにとっては迷惑をかけないように怯える存在だからさ…(悲しい)

 

あとなんといってもルールが覚えられない。もうこれは致命的なんだけど。

とにかくルールが覚えられないんですよ。バレーの授業の時とか「今のどっちに点数はいった?」って聞きすぎて友達に半ギレされたこともあるし審判(点数ペラペラってやる係り?いるじゃん)任せられたときなんかはプレーしてる人たちが盛り上がってるほうの点数をペラってしながら「あってんのか…?」とビクビクしてたからね…あほか…

 

一度友達にチケットを貰ってサッカーの観戦に行ったことがあったんだけどね。

それはそれで楽しかったんだけどルールがわかんなすぎて応援している人たちを見ながら「団結力すげえ!!!参加したい!!!」「サッカーするより体力いりそう!」(サッカー選手に失礼)と言って応援団に対してテンション上がって試合はろくに見てなかったような…(チケットくれたのにごめん…)

 

なんでこんなダラダラとわたしのスポーツへの関心のなさを説明しているかというと、そこを分かったうえでこの感想文を読んでもらえるといいなということなんですね。

スポーツへの関心ゼロ。ゼロっていうかもうマイナス。出来ればこのまま関わらずに生きていきたい。愛知県出身って言った時に「中日!」みたいな話を振ってくる人たちに心の中では「でたな…」と思いながら「中日!青色ですよね!!!」と答えるのが精一杯なほどに無いスポーツ知識…。

 

特にボクシングやプロレスは見てるだけで痛い!痛いことに敏感なので

もうテレビでちらっと流れる映像を見るだけ自分が殴られているような気分、

怒り心頭の三大○○でプロレスの映像を見たときなんて途中でテレビを消したよね…

だって痛いんだもん、見てると…。ていうかなんでそんなにみんな熱中して応援してるのよ…何がかっこいいのか全くわからない…痛いからもうやめようこんなこと…。

 

そんなわたしが!プロレスの!試合を!見に行ってきました!知識ゼロで!!!!!

 

最近やたら「プロレスいいよ!!!」みたいなのを見たり聞いたり

西加奈子やオードリーの若林がラジオで「プロレスはすごい!!!!」

みたいなことを熱く語っていたのを聞いたり、人生で一度くらいは見てみたい!

という気持ちが沸々と湧き上がっていたんですよね。というか単純に気になってた、

「プロレスの何が人々をそんなに熱くさせるのか!?!?!?!?痛いじゃん!!」

というわたしの不思議指数が最大値になっていたころ!

さすがわたしの友達、わたしをいつも外の世界へ連れ出してくれる親友から

「日本帰ってきた?プロレス見に行かない?」との連絡。

「行く!!!!!!!!」っていうかここまでで2000文字超えてんだけどまだ感想始まってもないんだけど?

 

という訳で「プロレス痛い」のわたしがプロレスを観に行くことになりましたが、

何度も言うように知識ゼロ!友達から送られてきたyoutubeの予習動画もさらっと見て

「あかん、名前も顔も覚えられん…」、その後たまたま見ていたしゃべくりセブンでも

「あかん、名前覚えられん…マスクの人はマスクはずしたらブスくらしか覚えてない…」

 

そして当日。支度をしながらもう一度不安になるわたし。

前日にTwitterでプロレス見に行くとツイートしたら友達が

G1クライマックスっていうヘビー級(でかい人達)のトーナメントであること」と

「最後とその前に出る棚橋とオカダが一番有名」ってことを教えてくれました。

ありがてえ!!!ありがてえけど行く試合の名前すらも知らなかったわたし…。

それに棚橋とオカダの顔わからん…

「顔名前どころじゃない…そういえばルールもわからん…」

乗り込めばなんとかなるか…。

 

そして名鉄とバスを乗り継いで初めてやって来た岐阜!

みんな!わたしプロレスを観に岐阜まできたよ!!!!!(感動)

 

会場が近づくとそれっぽい人がいっぱい!

みんなそれっぽいTシャツを着てるからすぐわかるのよ!

そしてそれっぽいTシャツがね、めっちゃみんなかわいいの!

プロレスのグッズってかわいい~!!!しかも安い!

しかも全然並ばないの!これはみんな買うわい!

形から入るタイプなのでわたしも友達と二人でTシャツをゲット!

 

あとびっくりしたんだけどイカツイおじさんたちがビールやら

から揚げやらたこ焼きやらポテチ売ってるんだよね。

そんでみんなビール片手に持ってんのよ。おいしそう!買うよね!(形から)

 

これから何が起こるのかなにもわからないけれどとりあえずビールとTシャツを手に中へ!(本当にプロレス好きな人たちに申し訳ないくらい形から)

 

中に入るとリングの周りを囲うように卒業式の椅子みたいなパイプ椅子が

所狭しとブワァァァと並んでました。自分の席を探して席に着き、

あたりを見まわしてみるとなんと子供の多いことよ!!!!!

小学生にもなってなさそうな子供がとにかく多い!パパが連れてくるんだろな…

こんなちびっこがあんな痛い映像を生で見てしまって大丈夫なのだろうか…(不安)

子供だけじゃなくて若い女の人もちらほらいたし、若い男の人も多かったし

わたしが今まで行ったコンサートとかライブとかでは考えられない年齢層の広さ

男女の混在率でまずちょっとびっくりしました。

いろ~んな人がまんべんなくいるおかげて、わたし、全然浮いてない!(安堵)

みんな各自ビール飲んだりポテチ食べたりリラックスした様子で待っていると

会場のスクリーンにお知らせが。

 

「写真はオッケーです!」

 

えっ!写真オッケーなの!?なんかすごい!!!

ああでも確かにサッカーの試合とかで「写真ダメ!」とかないか…。

いやでも思ったよりみんな飲んだり食べたりリラックスして見てるしカメラもオッケー。この雰囲気いいじゃん!!!!!(アイドルのコンサートとの差に驚く)

 

そして第一試合がスタート!

読み上げられる4対4の名前。

「4対4!?!?!」(笑)

そういうシステムもあるのか…あそこに8人入って戦うのか…

なんかすごそう!!!!!

 

初心者の感想として一番最初に思ったのは

「人ってぶん殴られると意外と鈍い音しかしないんだな…」だった…(笑)

ヤンキー映画とか見ると殴り合いのシーンって「ドスッ!」「バフッ!」

みたいな感じですごい音がなるじゃないですか。そのイメージだったから

いや、今考えると遠いから聞こえないのが当たり前なのかもしれないけど

殴られる瞬間の音が意外と鈍くてそれがもっと痛そうに見えた…。

でも驚いたことに痛そうすぎてまともに見れないかなと思っていたんですけど

「痛そう」よりも「強い」が上回るからちょっとそこらへんは安心して見えるというか。安心というのは変かもしれないけど意外と落ち着いて見れました。

 

あと勝手に8人全員で一斉に戦うと思ってたからまさかの手でバトンタッチ制度にめっちゃ笑った…いや笑っちゃいけないんだけど手でパチン!ってバトンタッチするのなんかかわいい………(なんだそれ)

 

顔と名前が一致してなさ過ぎて誰と誰が同じチームでどう戦ってんのかよくわかんないんだけどちょっと楽しみかたがここら辺でわかってきた!!!!

 

あと何が楽しいって「声を出したいところで声を出していい」っていうところ。

わたし映画館とかでもリアクションでかくてめっちゃ声出したいのに声出せない

笑いたいのに笑えない、みたいなことすごい多くてうずうずしてたんだけど

あとコンサートとかもある程度ね、掛け声とか決まってたり暗黙のルールがあるじゃん。

 

けど、技が決まった瞬間とかに「うぉ~!」ってなるのは決められてるわけじゃなくてみんなもう勝手にでちゃう声なわけでしかもそれを誰もとがめないし、すげー!ってなったら拍手が起こる。自分の感情を思ったままに発散していいんだよね、あの場は。それが「ああ!これがスポーツ観戦の楽しさなのか!」と初めて気が付きました。なんせスポーツ観戦を本当にしないのでそんなことすら新鮮だったな~

 

やっとこの頃、ホールド?されて3カウントされる前に起きたらまだ続く!とか

リングの外に出て20カウントされる前に戻ってこなきゃなんなんだな~とかそういうのをわかってきました(遅い)(基本すぎ)

 

4対4がいろいろ終わって休憩。休憩時間にさっき買ったTシャツに着替えて

ビールを買い足して気分良く席に着くと一対一がスタートしていました。

 

正直さっきの4対4はお客さんも想像より盛り上がってないな~と思ったし

試合自体もパフォーマンス的で「これは双方の合意の上で決まった流れでやってんのかな…?」(初心者だからそんなこと思った)「長編の体を張った舞台…?」(失礼)とか思ってたのですが(許してください)一対一がはじまると会場の雰囲気がもうガラっと違う!!!!

 

バァーン!殴られてんのに目の色も変えずびくともせず耐えて耐えて耐えた後にバァーン!って相手ぶったおす姿を見て友達を目を合わせて「かっこいい…!!!!」(初心者だからバァーンくらいでしか表現できない)

 

あと不思議なことに、見てると、見てるとっていうか試合が始まった瞬間に「あっ、わたしこっちの人を応援したい!!!」って気持ちが芽生えるんだよね。なんだろあれ。振る舞いとか見てて「この人の生き様を応援したい!!!!」ってなるんだよね。

 

なんで生き様とかそんな言葉急に出てくんだよ、って感じなんだけどね。

正直わたしは最初「そんな双方痛いなら一緒にやめたらいいじゃん!」とか

「いやもう立たんでいいっしょ!痛いっしょ!終わろう!」とか思ってたんですけどね(アホ)スポーツに対して関心ゼロむしろマイナスのわたしだからもうそんな風に思うんだよね、「いやそもそもなんのために戦ってんのよ!そんなに傷ついてまで!やめよう!」とか思うんだよね(笑)びっくりするけどテレビで見てた時はそう思ってたんだよねほんとに…

 

でも観てたらわかってきたんだよね…「わたしたちに生き様を見せてくれてる!!!!!!」あの場にいるとそういう気持ちになったんだよね!理由わかんないけど!そんでさ、とにかくかっこいいんだよね!何度も立ってやり返すんだよ、すごいよね!

 

空腹に二杯目のビールが良い感じになってきてわたしのテンションもめっちゃ上がってるし会場のテンションもすんごいあがってんの。そんでみんなが全力で応援してんだよね、これがすごいいいな!と思ったんだけど。スポーツ経験がないからあんまりそういう経験がなくてわからなかったんだけど(球技大会とかも基本さぼってた)全力で誰かを応援するということはすごく気持ちがいいことだな!ということに初めて気が付きました!

 

そんでね、会場のあちこちにいるちびっこたちの声がすごい響くんだよね。

おっさんたちの「だなはじぃぃぃぃぃx!!!!」みたいなどす声に交じって

「た~なぁぁ~!!!!!」(なぜかちびっこはみんなたな呼びだった)

「たなぁぁ!!!がんばってぇぇぇぇ~~~!!!」

もう声の種類でいったらニモの吹き替えの声よね、ニモの吹き替えの声じゃなかったらモンスターズインクのあの女の子、名前忘れたけどさ。あの声で脳内で再生してみて。

もうすんごいかわいいの!!!!かわいいし、その声につられてわたしもすんごい応援したくなるのよ!力入っちゃうよね。それでね、さっきまでは「こんなちびっこがこんな痛い映像見て大丈夫なんかい」とか思ってたんだけどむしろちびっここそ見るべきだよね!あんな強そうな人たちがボロボロになりながらそれでもまた立ち上がるかっこいい姿を見て自分は大きい声で応援するというそのきれいな心ね!!!!!!そのきれいな心大事にして生きてくれよちびっこよ!!!!!わたしは君の歳の頃そんなことできただろうか?まわりの目を気にしてろくに大声も出せなかったと思うよ!わたしにはできなかった!!!純粋に頑張る人を全力で応援するというその心!!なんて美しいの!(母性)

 

もうわたしも最後のほうは手に汗握って応援してました…

「たなぁ~!!!」とは言えなかったものの(どっちがたなかよくわかんなかった)(そういうところがダメすぎる)技が出るたびに一喜一憂して2カウント目で息を飲み、また立ち上がると全力で拍手してたよ!

 

こんなに全力で何かをするという姿を見たのは東京ドームでアイドルのコンサートを見た以来だなと思ったのと、あの時は全力で泣くだけだったけど今回は全力で声を出して応援できて気持ちがすっきりして、目で観る楽しさだけじゃなくて会場の雰囲気の楽しさというか、そういう楽しさがもうなんとも言えず良かったです!!!

 

6000字を越えてしまったよね…熱くなりすぎ…

 

こんなにスポーツ観戦に興味のないわたし、ルールも名前もわからない

なんならプロレス痛いからテレビで見たら目をそらすようなわたしが

まさかのとても楽しめたので、もし気になってる人がいたらぜひ行くべきだよ!!!

ということを伝えたいだけの日記でした。

 

初心者すぎて詳しい人には申し訳ないくらいの楽しみ方だったけど

それでもわたしにはとても楽しいプロレス観戦でした!

余談ですがTシャツがかわいすぎて帰ってきてから家族一人一人に自慢してまわりました!(笑)

こんな長い文章を読んでくれてありがとうございました~おやすみなさい!

一日の終わりに

中国から帰ってきて二週間ちょっとがすぎた。まだ二週間かというような気もするし、二週間もなにもしないでよく生きれたなという気もする。

 

空港の帰国ゲートでわたしを見た瞬間に「パンパンだね」と言い、空港から家に帰るまでの車の中でわたしの一年間について聞くこともなく近所の子どもが成績が悪くて入る高校がないことを「どうするんだろうね」と気持ちを全く感じない口調で言っていたお母さんとずっと家にいるなんて不可能だろうと思っていたし、そのことを心配して帰国の三カ月前からぐったりしていたけれど二週間は意外と大丈夫だった。

 

弟は社会人になって髪を染めてパーマをかけて、とっくの昔に免許を取って車に乗っていてこの前はボーナスをもらって家族を焼肉に連れていってくれた。

 

お父さんは相変わらずグレーのつなぎとチョコレート色のニューバランスのスニーカーで仕事に行き、夕方になると帰ってきて部屋を真っ暗にしてパソコンの前に寝転がりながら韓国ドラマを見ていた。

 

わたしが大学生になる時にわたしの部屋を母親に譲ったのでわたしの部屋はもうなくて、今は弟の部屋に布団を敷いて寝る時だけ弟の部屋で一緒に寝ている。ドレッサーにわたしの化粧品を置くすぺーすはないし、わたしの荷物(といっても結局本くらいしかないんだけど)は物置きの隅っこの棚に全部入れた。友達にはリビングないの?とかいろいろ言われるけれど、あいにくみんなが想像するような家ではなくてどっちかっていとサマーウォーズにでてくるような縁側付きの田舎の家のもっともっと小さいバージョンの家なのでキッチンというよりは台所だし、台所にご飯が食べられるくらいの大きさの机がきつく収まっているだけでダイニングというようなスペースもないしリビングもないので基本的には台所の大きめの机にずっといる。

 

小さい家とはいえかなり小さい頃から一人部屋を与えられていて一人の自分の空間がずっとあったし一人暮らしをしていたのも三年半くらいにはなっていたので、物理的に自分の場所がないというのがなんとなく慣れなくて不安定だ。この家ではわたし専用のコンセントもないから誰かの部屋の使っていない扇風機やドライヤーのコンセントを抜いてはアイフォンを充電する。もし使えるコンセントを発見できなかったら携帯充電器を家の中で使う。自分の部屋がなくて自分のものを置いておくスペースがないから常に使いたくて常に目に見えるところに置いておきたいハンドバックやリップや財布や充電器や薬なんかはリュックにつめて台所のわたしがご飯を食べる椅子の上に置いておくことにした。

 

母親の部屋で寝ることも検討したけれど9時には部屋を暗くして布団に入っているのでその生活にはさすがに合わせられない。弟がかなり優しいので社会人になってまで自分の部屋で姉が布団を敷いて寝ていようが「別にいいよ」というし、次の日の仕事で早起きしなきゃならなくても「電気ついてても寝れるから気にしなくていいよ」という。自分のスペースがないから置いておく場所がなくて弟の机はわたしの教材や本で既にいっぱいになっていて、かなりきれい好きの弟からしたら多分嫌な気持ちだろうけどそんなことは絶対に言わない。申し訳ないやらありがたいやらではあるが、ふとした瞬間に複雑な気持ちが押し寄せる。

 

帰国後、大学に提出する書類もすぐに作って携帯ショップにも行って携帯を復活させて特に必要なことも買いたいものもなかったわたしは、中国にいる時に切望していた読書と映画鑑賞に精を出した。多分二週間で16冊の本と12本の映画を見たと思う。朝っぱらから掃除機の音に邪魔されながら映画を見るのもあれだし、こんな暑い真夏の昼間に扇風機一つつけて縁側で本を読むのも飽きたのでやっぱり一番集中できる家族が寝静まってからの夜にひっそりとパソコンを付けてDVDを見たり、枕元に設置した小さな間接照明の光で小説の世界に胸を躍らせるのが一番落ち着く。

 

12月から就活がはじまるっていうから自分のやりたい仕事や将来について考えるけれど理想はあっても全く現実味がなくてすぐにわからなくなってしまう。

 

食卓の話題は区の祭りの参加人数が少なくなって来年から行えないかもしれないことについての解決策とか、裏の家のおばあちゃんの具合が悪いとことか、弟の同級生の家が離婚危機で奥さんから相談を受けたとか、そういう話題が永久に続いて、テレビからは都庁の候補者の話題が永遠と流れていてそれに対してこの間の選挙に行かなかったお母さんが的外れな意見を言ったりしていてわたしにはそういうことがずっと続いていく生活がとにかく悲しく思えて、でもわたしの家族がそういう生活をこれからもここで続けていくのにわたしだけそこから抜け出そうとしていることをどうなんだろうと思ったり、そもそも今の生活がとても嫌で抜け出したいことなんて家族は全く気付いていなくて混乱する。

 

喪中の人が多くて今年は参加者が少ないから、わたしたちが行かないと本当に人がいなくなってしまうからと家族全員で参加するとになった区のお祭りに行くとなぜかみんなわたしが中国に行っていたことを知っていて、「どうだった?」「中国語ペラペラなの?」「これから大きい企業に入るの?」と口をそろえて聞いてきた。「まだ何も考えてなくて」と答えると近所のおばさんに「町役場で中国語講座の先生をやったら?」と提案された。

 

さっき、図書館で見かけて懐かしくなって借りた嶽本野ばらのエミリーを読み返していたらその中のコルセットという話の中でイラストレーターをする男の人に病院の受付をする女の人が、生きている世界の違いみたいなことを丁寧に説明しようとしているシーンであまりにも頷きすぎて共感してしまい、わたしも隣町の歯医者さんの受付するお姉さんになることを考えた。

 

Twitterを見ればいろいろな人の生活を簡単に覗き見することができて、あぁ、こんな風に生きてるひともいるんだ、と思う。特に人生の成功者みたいな人たちは同じ大学生でも投資のやり方を教えていたり、noteで成功論を語ってお金を稼いでいたり、誰かにごちそうしてもらった高級料理の写真を載せていたり、なんかそういう世界がすごく当たり前にあることにびっくりする。知らなければよかったのかもしれないと思ったり、知れてよかったなと思うような気もする。そしてそれから、やっぱりわたしはコルセットの中に登場する病院の受付の女の子になる。

 

この二週間ですっかり父親から「海外で一年遊んで帰ってきて毎日ダラダラしていい身分だね」「車に乗れないから社会人になれない」「大学入ってからのバイト代はどこに消えたんだ(もちろん留学の費用に全部消えた)」なんていう言葉をさらっと浴びせら、母親には「孫の顔がみたい」「なんでもいいから痩せろ」と言われ、ツムツムをするわたしの横で弟が親に生活費を収めるのを気付かないふりしてまた今日も弟が眠りについてから小さい明りで本を読むくらいしかすることがない。

 

大学生になってからわたしなりにそれなりに一生懸命やってきたつもりだけど、こうやって二週間ダラダラしただけで家の中での精神的居場所もどんどん削られていく気がする。何かに対して突き進んでみたいのに何に向かえばいいのか全くわからない。一日の終わりにそんなことをもやっと考えながら、整理するために一度文字に起こしてみた。

 

最近家にずっといるからかわかんないけど、花火やイルミネーションで特に何も感じないタイプだったのに、この前浴衣を着て友達と花火大会に行ったら花火がきれいですごく感動したし今日見た映画のドレスがきれいでデザイナーに感情移入してちょっと泣きそうになった。じっとしてたら感性研ぎ澄まされるのかもしれない。今週末から近所のおじいちゃんたちに混ざって朝から6時間半、炎天下で駐車場の呼び込みのバイトをすることになった。心配しすぎかもしれないけど、日焼けしてはいけない体質のおかげで小さい頃から長時間外にいた経験がないし本当に体力がないから途中で死なないか本気で心配してる。まあそんな心配、だから何って話なんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

一年の留学生活を終えて空港に向かうタクシーでわたしはすごく安らかな気持ちだった。

これまで夕飯を食べるのにもコーヒーを飲むのにも財布の残り枚数を数えては不安になっていた100元札が急にただの紙きれのように感じられて普段なら高いと思うタクシー代240元を友達と半分ずつ出した。

 

なんとか既定の23キロに収めたスーツケースは馬鹿みたいに重かったけど、反対にわたしの一年間の生活ってスーツケースに収まるようなものだったんだなとも思うと23キロは軽すぎるような気もした。一年間異国で生活するのにスーツケース一つあれば事足りるし、事足りるような身軽さを常に保っているほうがいつでもどこにでも行けそうでわたしは好きだ。

 

爆発事件後厳しくなった空港の安全検査をビクビクしながら通り抜け、いよいよ飛行機に乗る前、急に家族や地元のおじちゃんや仲良しの同級生のお母さんの顔が浮かんで、なにかお土産でもと思ったけどまともなものが売ってなくてパンダ型のチョコレート5個セットをいくつか買ってみた。何で急にそんな気持ちになってのかはよくわからない。

 

帰国の飛行機はあっけなくて、こんなに簡単に国に帰れるのに一年間すごく遠くに来たような気分で帰りたくても我慢して帰国を指折り数えていたのが馬鹿みたいに思えた。それはとっくに知っていたことだけど気づいていないふりをしていることでもあった。途中で一度帰ったらなんとなくいけないような気がしてそこは学校がない休みの期間中も上海に残って生活することはわたしが自ら選んだことだった。

 

飛行機に乗ってアイフォンで曲をシャッフルしたらハナレグミの一日の終わりにが流れてきて普通にちょっと泣きそうになった。

 

 

これで今日はさようなら

汗もよくかいたし湯船につかったらゆっくり眠ろう

忘れものもしたけど見つけた物もあるよ

無駄な時なんて一日もないさ

出会えた人たち言葉をありがとう

名もなき人たち風景をありがとう

気の合う仲間たち力をありがとう

つつみかくさない心をありがとう

 

 

着陸態勢に入った飛行機の中で隣に座っていた友達が「自由に生きようね。」と言った。わたしは「うん」と適当な返事をしながらその言葉を何度も噛みしめた。

 

この一年の生活を終えてそんなに大きく変わったこともないしわたし自身はそんなに成長してない気がする。この一年をそんなに美化するつもりもないし人生のターニングポイントになったなんていうわけでもない気がする。

 

けれどやっぱり帰国した今日という日に、今日までの生活に一度区切りをつけてしっかりさようならしておきたいし汗をかいた自分を湯船に入れてゆっくり眠らせてあげたい。

 

もちろんもっとこうしておけばよかったんじゃないかということもたくさんあるし、もっと中国語に真剣に向き合ってればとか、自分の将来についてしっかり結論を出してから帰ってこなくちゃだめだったんじゃないかとか、そういう忘れたこともあるけどもちろん見つけたことも少なからずある。これはまだ明確に言語化できないけれどこれからゆっくり見つけた物を少しでも自分の中に落とし込んでいくことができたらその時は大儲けだなくらいに思ってる。

 

出会った人たちはみんなわたしたちに大切な言葉をくれたし

一階のコンビニのおばちゃんとか、管理室のおじちゃんとか、

配達のおじちゃんとかご飯屋さんのおにいさんとか

名もない人たちはわたしの生活に暖かい景色を与えてくれた。

 

留学仲間や気の合う友達はいつもわたしに力を与えてくれて

わたしの大好きな人たちはつつみかくさない心をくれた。

ひとりひとりにお礼の文章をしたためたいくらいだけどとりあえず今日は実家のお風呂にゆっくりつかって、お母さんが準備してくれたふかふかの布団でゆっくり眠ろうと思う。ていうかこんな短い歌詞でこんな意味のあること書けるハナレグミ神かよ。あとこのタイミングで流してくるわたしのアイフォン神かよ。早く7に変えたいから壊れてほしいって思っててごめんな。

 

一年ぶりに会った家族はそんなに変わってなくてやっぱり一年って本当になんてことないなと思ったけど、お風呂に自動給湯器がついててジョーロみたいな水圧だったシャワーがちょっと強めになっててびっくりした。父親はわたしが小学生くらいの時からのあの変わらない体制で床に横たわりながら相変わらず韓ドラを見てた。お母さんが認知症になったらどうしようと本気で相談してきて笑った。田舎すぎる実家が嫌いで嫌いでたまらなくて都会に住むことばかりを考えてたけど、大都会上海に住んで帰ってきたから、なんとなく前よりは田舎の風景を受け入れられた。

 

わたし個人のはなし

 

 

Twitterを使い始めて何年になるのかわからないけれどこれほどに頻繁に生活の一部として使い続けて依存しているSNSは他にない。

新しいもの好きなので他のSNSも一通りやってみたが結局Twitterが一番あっているようだ。

Twitterの好きなところはリツイートで全く違う世界の、特に自ら知ろうとしなかった、存在さえ知らなかったジャンルやコミュニティや人の発言がちらりと目に触れて「おっ?」となれるところだと思う。そういう世界をちらりと除いて「ほう」となるのがすごく新鮮で楽しい。

 

最近、「整形・美貌垢」というジャンルのアカウントがすごくたくさんあることを知って驚いた。気になってある人をフォローして見たら関連してそういうジャンルのアカウントがすごくたくさん出た。ツイートに関するすべてが自分の外見に関する嘆きで朝から晩まで、起きてから寝るまで、夢の中までさえも外見に関することをツイートしているのである。ツイートしているということは考えているにイコールすると思っているのでそういう人たちはもう一日中、「なんでこんなにブスなのか」「整形するお金のためにバイトいこう」「しんどいけどここで食べたらもっとデブに磨きがかかって死ぬ」「なんでかわいく生まれなかったのか」そういうこともう、ずっと、ずっと考えているのだと思う。

 

更に驚いたのが、そういう人たちは他人の全ての他人や行動を自分の外見に結びつけるようなツイートをしているのだ。「友達と話しててこういうことがあったんだけどブスでごめんね」とか、「こういう服似合いそうって言われたんだけどそれってデブってことだよね」とか、すごく冷静に見たら「落としどころそこ!?」という感じだ。しかし彼女たちは美に関する他人の発言に何よりも敏感なのである。少し病的なくらいだ。しかし彼女たちの身長や体重、あるいは顔写真を見たりすると普通にかわいい。普通にかわいいのだが、過去がどうだったかはわからないし一度そういうループに入ってしまったら誰にかわいいといわれても自分が納得できないかぎりは「ブスの自分」からは脱却できないんだろうと思う。

 

かく言うわたしも、外見のコンプレックスにすごく苦しんで生きてきたタイプだと思う。これも他人と比べようがないので「いやそのレベルで何が苦しみだよ」という人もいるかもしれないし「美アカウント」を持つような人を見てしまうと「わたしなんてなんてことねえな…」と思ったりもするのだが上には上がいるのでそこは置いておくとして、自分のツイートを見返してみたら外見に関するツイートがとにかく多い。起きてから寝るまでとは言わないがわたしの場合、起きて鏡をみて「ああ…」と落ち込み、化粧をしては「してもこれかい…」と落ち込み、化粧がのらない日には「外出たくない…」という状況になり、着る服が気に入らなければその日一日帰りたくてしょうがない。外にでて鏡を見てはテンションダダ下がり、お腹がすいては食べるか食べないか葛藤し、食べるたびに反省して落ち込む。一般的な人が鏡を見てどれくらい落ち込むのか全く知らないがわたしの場合は見るたびに「はぁ…」である。自分以外の人が全員美人だと本当に思っているのでブスで売っている女芸人を見ても「きれいやん…」「愛嬌あってかわいいやん…」「わたしより全然いいじゃん…」と思っている。ただオカリナだけは許さない。(着飾ろうとしていない人に対してめちゃくちゃ厳しい)

 

最近まで写真が本当に嫌いで(自分が一番ブスだから)基本的に現像して落ち込んで捨てるのパターンだった。ちなみに高校の卒業式の写真も太りすぎていて見るたびに吐き気がするので捨てた。写真を撮られるのが嫌で拒絶するというわけではなくて現像された写真を見るのが嫌いだ。写真が嫌いなのは小さいころからである。今でも鮮明に覚えているのだが、保育園くらいまでわたしの写真は全て唇を見せていない。リップを塗ったあとに「んーまっ」とする「んー」の状態で写っている。理由は親に「歯並びが汚い」と言われていてそれがコンプレックスだったのでそうしていた。そうやれば歯並びが見えないので変に写らないと思っていた。のだが、ある日親に「あんたいっつもこの口で写っててばかみたい」みたいなことを半笑いで言われたのですごく落ちこんでそれ以来やめた。

 

小学生の時はとにかく自分がデブだと思っていた。今写真を見返してみると、骨格の細いひょろひょろ体型ではないものの別にデブなことはないし、いたって普通であるのだが親にデブだと言われて育ってきたのでデブだと思っていた。あと男の子たちと中いいが故にずっとブスと呼ばれていたのでめちゃくちゃ傷ついてはいたものの、わたしになら言ってもいいみたいな雰囲気が漂っていたし、それをネタにするキャラが確立してしまっていたため「うるせー!」と言って笑っていた。

和太鼓の関係でグループ専属カメラマンがいて写真を撮られることが多かったのだが自分だけが本当にかわいくなくていつもはずかしかった。

 

中学生の時はとにかくニキビに悩んだ。化粧もできないしなにを塗っても治らないし朝から晩までニキビのことばっかり考えていたような気がする。あとある男の子に「それどうにかしろよ気持ち悪い」と言われて帰り道に泣いたような覚えがある。その男の子が当時からの彼女とずっと付き合っているのにも関わらずこの前成人式で中学生ぶりに会った時に言い寄ってきてびっくりした。わたしはその時のことが頭によぎったので内心「きたねえ肌は化粧で隠してんだよ、お前の発言今でも憶えてるからな!」と思った。書きながら痛感してるけどわたしまじで歪んでんな。ていうかその前に彼女いるのに言い寄ってくるな。

 

高校の話をするとわりと最近だし今いる友達も高校の友達が多いので恥ずかしいのだが書く。高校に入ってからはライブハウスで人前に立つことが増えたのだかとにかく自分の外見に自信がなかった。ボーカルがフロントマンとしてどれだけ大事なのか、特に女性ボーカルはどれだけかわいいかが、雰囲気があるか、さまになるかが大事なのかということを痛いほどにわかっていたのでとにかくそこが気になった。小さいライブハウスで演奏するくらいだったものの、他のバンドの女性ボーカルは正直歌はどうでもよくてみんなかわいかった。歌は練習すればいいけれどかわいさは練習でどうにもならないことが気になってそこばかり気になっていた。

 

なぜこんな風になってしまったのか、実際ブスなのでしょうがないといえばしょうがないのだがブスがみんなこんな卑屈になっているわけではない。

 

この年になって親のせいにするのはみっともないから嫌なのだがやっぱり親のおかげだと思う。小さいころから親にデブ、ブスと言われ続けて育ってきたし、今でも実家に帰ると「ひどい肌だなおい」「痩せろ」と言われ親の前で体重計にのらされ「うわ~デブ~」と言われるありさまだ。冷静にひでえ家族だなおい。愛情表現だということもわかりつついまだに本当に傷ついているのでもうそろそろやめてほしいなと思う。

 

便乗してもう一つ親にせいにさせてほしいことがある。わたしの趣味がすべて中途半端なことだ。わたしは小さい頃から習いごとをたくさんさせてもらったが全部親の言葉に傷ついて辞めた。スイミングや体操教室はわたしがやりたくなくて「やめさせてください」と頼んだものの、好きだったピアノやそろばん、習字、絵は親に言われた言葉で辞めてしまった。多分親はその言葉を言ったことすらも覚えていないだろし本当に何の気のない言葉だと思う。

 

そろばんは確かそろばんコンクールで二位を連続とっていたにも関わらず「一位とれないならやめたら?」と言われ、絵はコンクールで賞を貰ったお気に入りの絵を部屋に飾っていたら「その絵気持ち悪いから捨てて」と言われてゴミ箱にぶっこまれた時に辞めるのを決断したし、ピアノに関しては学校から夕方に帰ってくるにも関わらず「うるさいから夕方以降は弾くな」といわれて真夏に雨戸とカーテンを閉めて他の部屋に聞こえないように消音ペダルを踏んで泣きながら練習していたが「才能ないならレッスン代もったいないからもうやめなよ」と言われて辞めた。あと小さい頃に「歌ってる声が気持ち悪いから歌うな」と言われたことが何度かあるので(シチュエーションまではっきり覚えてるから怖い)歌うことがずっと好きだったけどずっと「気持ち悪い声だな」と思っている。文章は高校生の時になにかに応募したものが親の手元にわたってしまって(PTAだったから?)「わけわからん」という感想をいただいた。本当にわけわからん文章しか書けません。

 

何故親がそんな風にしたのか理由はわかっている。親の教育方針が「褒めるな、褒めると伸びない」だったからだ。それ親の口から何度も説明された。「弟は褒めたら褒めた分頑張るから伸びるけど、あんたは褒めるとそこで満足するから伸びない」というやり方をとっていると何度も何度も聞いた。記憶では褒められたことが2回くらいしかない。弟は何をやっても褒められるのにわたしは何をやっても褒められないので途中から全部辞めたくなった。

 

どれもこれも「別にそんなことで…」と思うのだがわたしにとってはすごく親の言葉が呪縛のようになっていてそれでも続けようという風に思えなかった。全部辞めてしまったので、辞めれたので大丈夫ではあるけれど、自分の外見だけは辞められないのでいまだにこんなあほみたいに悩んでいるのだと思う。

 

大学生になってからはほんのたまにだけ母親と連絡をとる。子供みたいではあるが連絡する度にわたしは親に自分を褒めさせようと仕向ける。「一ヶ月のうち3日しかバイト休んでないよ」「夜中までバイトするけど明日は朝から学校だよ」「仕送りないから今月わりときつかったよ」「最近机によくむかってるから片頭痛がひどくなったよ」など苦労している感をガンガンアピールしていく。(事実ではある)わたしの期待する返事は「大丈夫?」という心配か「頑張ったね」という褒めなのだが毎度母親は「お金つかいすぎてんじゃない?」「姿勢が悪いから頭痛くなるんじゃない?」「ちょっとは運動したら?」「お母さんはバイトが忙しくて大変ですがあんたの学費とかあるし働きます」などという返事をしてくる。本当はそこで母親を気遣えるような余裕がわたしにあるのが理想なのだがわたしにまだその余裕はない。「わたしの心配をしろよ!」と心の中でキレて「そっか」と返事をする。21歳とは思えない。

 

つい一週間くらい前に母親に連絡をとった。最初は日本に送る荷物の話をしていたのだが途中からどうにか褒められようと「最近韓国語がわりと上達してきたよ~」と送った。母親からは「中国に行ったんだから中国語やりなさいよ。中国留学しといて中国語ができないなんて…」という返事がきた。その後就職した弟の「自慢の息子話」を長文で送り付けてきたのでむかつきすぎてその場でトークルームを削除した。事実でしかないので、もう本当になんとも言えないけれどうちの親にとっては「金がかかる将来の見えない姉と既にお金を稼いでいる親孝行な弟」でしかないのだ。最近いとこがめちゃくちゃ若くして子供を産んだこともあり「わたしはいつになったら孫の顏が見られるのか」と言われるものめちゃくちゃつらい。就職するために、お金を稼ぐためにこうやってひとつでも多くの言語を習得したくてもがいているのに「孫の顏」とか言われたらもうなんなんだよってなる。親にとっての望みがそれならどう頑張ってもそこにたどりつくまでは親孝行の娘にはなれないだろう。

 

いつまでこんなことをしているのだろうかと思う。21歳にもなって「親に褒められたい」とか「親に言われた言葉が」なんてことを言っているのはもうナンセンスだし最近基そんなことばっかり言っているしだいたいの悩みをたどると全部そこにたどりつくのもあほらしい。いい加減ここらへんで決着をつけたい。決着をつけたいのだがつけかたがわからない。今回ばかりは「親に言われたから」なんてあほな理由で今の勉強をやめるつもりもさらさらないしもちろんこのままどっちの言語もより頑張って身に着けたいと思っているけれどそれでもなんか腑に落ちない。

こういう個人的な、しかも人に見せるべきではないものをこうやってここに書くのにはわりと悩んだし考えたけれど、それでも一度、このタイミングでどうにか言葉にしてみて書いてみて自分の外に出してみる必要があると思った。

 

書いたことでなんの解決にもならなかったけど、本当にもうそろそろどうにかしたい。7月からまた実家で住まなければいけないので日本に帰りたいのに帰りたくなくなってきた。こっちにいる間に折り合いをつけたい。

最果ては見たくない

 

小学校一年生の時から考えて10人くらいの担任に出会った計算になる。

田舎だったこともあり常に二クラスしかなく小中は隣のクラスの実質担任のようなものだったのでそう考えるともっと多くの先生に教えてもらった。

他人と比較の仕様がないのでわからないけれど、割と先生を覚えているほうだと思う。名前は全く覚えていないし顏も実はそんなに覚えていないことが多いのだけれど、その先生がどういう話し方をする人だったか、どういう声だったか、どういう服を着ていたか、どういうエピソードがあったかということはかなり鮮明に覚えている。どういう会話をしたかについてはかなりはっきりと場所や空気感と一緒に覚えている。男女年齢幅広くいろいろな先生に教えてもらいどの先生にもあまり迷惑をかけることなく、むしろ頼られるほうで「実はあなただけに相談したいことがあるのだけれど、クラスのこの子の面倒を常に見ておいてほしい」「班をつくる時にこの子があぶれないようにうまくやってほしい」「この子の悩みがなんなのか、なんでこんな行動をするのか聞き出しておいてほしい」などから始まり「実は結婚しようかと思っていてもう学校やめちゃうかも」というのもあったし、今考えるとそんな話をされるほどにませガキだったんだなと思う。個人懇談会はいつも先生のクラス相談会だった。みんなしてそうだったので悩みを聞ける雰囲気が漂っていたのか、先生の悩みの糸口を見つけてつつく、そういう能力にたけていたのかもしれない。わたしなら小学生にそんな話できない気がする。それゆえか学校の先生を「先生」として見る習慣があまりなく、一人の生活のある「大人」として見る癖があった。それ故か先生たちが悩んでいたり大変そうにしているのを見て冷静に「こんな大変な仕事絶対に就きたくないな、先生だけは自分の将来の夢候補から外そう」と思っていた。わたしは個人懇談会で「夢はなに?」と聞かれるたびに「ない」または「はやめに結婚するか会社員」と答えるようなガキたっだのだがわたしの考えと反対に毎年どの先生にも「あなたは学校の先生をするのが本当によく合うと思う。考えてみたら?」と言われた。わたしはその度に「そんな大変そうにしてるの見てるから絶対したくない。先生そんなに大変そうなのにわたしに勧めちゃだめでしょ」と言っていた。とことんませガキだと思う。全然関係ないけど小学校一年生の時に25歳くらいの男の先生が好きだったので本当にいろいろ終わっていると思う。ませガキとしか言いようがない。

一般的に担任の先生は嫌われるもので友達はこぞって「ほんとあの先生嫌い、死ね」と言っていた。特に女の先生は男からも女からも嫌われていた。小学生や中学生は簡単に「死ね」というような年頃なので「仕事してるだけなのにこんなに人に嫌われて死ね死ねいわれるなんてやっぱりこの仕事だけはやめておこう」くらいにしか思っておらず、わたし自身は先生のことを好きでも嫌いでもなかったような気がする。この先生は比較的合うとか合わないとかはあったけれど「先生、大好き!」ということはなかった。だがなぜだか担任が転勤するとか退職するとなったとたんに「でもあの先生ほんとはいい人だったよね」となりはじめるのがしきたりになっていてみんなで色紙を書いてお別れ会で先生が泣くというのも恒例だった。わたしは自分に「死ね」と言ってきた人に対してそんな簡単には泣けないなと思った。多分憎しみが勝つ。生徒からめちゃくちゃひどいいじめに遭っていた女の先生がいたのだが30歳を前にして結婚を理由に退職した。その時もみんなに「あんな風にしてしまってごめんなさい、でも本当に感謝しているし今では大好き!」などと言われて泣いていたのだがわたしには解放からの涙に思えた。わたしは「お疲れさまでした」と共に「うまく逃げれたな」とも思った。小学生のわたしから見てもうつ病寸前みたいな状態になっていたので結婚という逃げがあってよかったなと思った。多分あのまま戦い続けていたら病んでしまっていたと思う。いつも原色ピンクのぴったりしたスポーツウェアを着ていて似合わない濃い赤の口紅をしていた。怒るとすぐ声が震えて目に涙が溜まる、すごく女っぽい性格の女の人だった。

 

どの先生に対してもそんなに思い入れはないのだが高校で担任してもらった二人の先生だけはすごく「好き」だったし今も好きだ。一人は一二年で担任をしてもらった女のお母さんよりちょっと上くらいの年齢の古文の先生で、もう一人はお父さんよりちょっと上くらいの年齢の男の生物の先生だ。その二人の先生をとりわけ仲がよかったわけでもないし、仲良くしたくて職員室に通った覚えもないしその二人の授業もまじめに受けていなかったので(古文は得意だったので特に聞かなかったし生物は苦手だったので寝てた)何が理由でそう思うのか考えてみたところその二人は「先生」ではなかったしわたしを「生徒」と思っていなかったような気がする。みんなに人気だった数学や英語の学年主任の先生たちはすごく「先生」だったし「先生」であろうとしているように見えた。職業を全うしている仕事熱心な大人だった。反対にわたしの好きな先生二人は仕事にあまり執着していなくて自分の人生を生きているような雰囲気がある人だった。

 

特に仲良くしていたわけではないのでエピソードがそんなにないのだけれど個人面談はすごく楽しい時間だった。高校の個人面談は普通、成績のことをあれこれ言われたり進路はどうするんだと迫られたり楽しいものではないはずだ。特にわたしが通っていた高校は進学校だったので個人面談はどこもわりとぴりぴりしていたのではないかと思う。ただその二人の先生は「先生」ではなかったので成績のことをこっちから持ち出さなければそんなにその話をしなかった。というか先生もわたしも「やらなければできないしやるしかないし近道をする方法は特にない」ことくらいわかりきっているし、わたしがそれをちゃんとわかっていることもわかっていたのだと思う。古文の先生とは面談する度におすすめの作家を紹介しあって感想を報告するというのをやっていた。あとは「現代文のあの問題、ちょっとないよね」とか「この作家はこういう書き方するから問題にしやすそう」」とか「どこ大学の問題はそもそも正解を書かせる気はあるのか」とかそういう話をしていた気がする。生物の先生は進路についてアドバイスをする気はさらさらなく、生徒の迷いながら下した決定に「いいね!」と軽く答えることで背中を押すスタイルだったのでわたしがセンター試験に失敗して突然「中国語やろうかな」と言った時も「いいね~」と言っていた。あとはお互いに最近見た映画を報告しあってあの監督はいいとか癖が強くて見る側も大変とか、でも見てみるとやっぱり深いよねとかそういう話をしていた。最近先生が言ったバイクツーリングの話とかそこで食べたおいしいものの話をしていた。東京の大学の社会学科に入りたかったのにセンター後に突然中国語をやる方向に転換したときもその話はさらっと終えて一人暮らしの楽しさとどのバイトが効率がいいかというような話をしていた。その時先生が「バイトをいくつもやるのはいいけどあまりバイトに自分を消費されるな」というようなことを言っていたような気がする。にこにこしていてすごく穏やかに話すので気づきづらいけれどすごく重要な言葉をさらっとくれる人だった。いつも最後に「じゃ、がんばれよ~」とパーティーパックのガーナチョコを一つくれるのでそのチョコを写真に撮ってすぐに食べるのが好きだった。

 

二人ともわたしを生徒として見ていたわけではなく、普通に大人同士でカフェで楽しく会話をするように話してくれたような気がする。他の生徒に対してどうだったのかはよく知らないけれど多分わたしが成績に関してあまり興味を示していなくて、「もっと上に行きたい!」「成績を上げるにはどうしたらいいですか?」「この大学に行けますか?」ということを聞かなかったから余計にだと思う。「やりたいことはないのか?」と聞かれると「興味のある分野はふわっとあるからそこに関われればいいけどその分野に関わるための道を考えると難しそう」と言ったら「たしかに」と納得していた。多分他の先生なら「あきらめるな!」「まだ若い!」などと言うかもしれないけどその二人の先生は「まあ生きてたら偶然関われるかもしれないしね」くらいな感じだった。

 

古文の先生と面談をしていた時に「一生懸命やってみるのが怖いからやりたくない」と言ったことがある。「どういうこと?」と言われたので「限界値までやって目標が達成できなかった時に自分の限界を見たようですごく悲しくなりそうだから」「自分の限界を知ってしまったらその後が閉ざされそう」「本当に没頭してる人ははたから見るとちょっと狂気的だから自分がその状態になっていると考えると怖い」と言ったら「あんたおもしろいこと言うね。なんとなく言いたいことはわかるけど一回やってみればいいじゃん、意外と大丈夫かもよ」と言われた。いまだに一生懸命なにかをできない自分への言い訳として「怖いからやりたくないだけ」なんてことを考えてしまう時にふと先生の「一回やってみればいいじゃん」がよぎる。あれから何年もたっているのにわたしは全く変わっていない。

 

生物の先生は面談の度に「お前は都会に出るのがいいと思う」と言っていた。わたしの何を知ってるんだ?なんでそんなこというんだろう?と思っていたのだが毎度毎度「都会に出るべきだ、お前は」とすごく言われた。大学受験に失敗した(正確には盛大に失敗しないように自ら希望していた道を閉ざした)ので都会にいけなかったけれどたまにその言葉が頭をよぎる。

 

若いとき、特に多感な時期にはどれだけいい大人に出会って話をするかが大事だとよく聞くけれどわたしにとってあの先生二人はその「いい大人」だった気がする。一年前?二年前?に文化祭で母校に行き、その二人に会った。古文の先生は「あら、中国行くの~」と笑っていて生物の先生とは最近見た映画で一番おもしろかった映画が一致して盛り上がった。そういう大人にあれ以来出会っていないので、たまに会って今のわたしを報告をしたくなる時があるけど、もう多分会うことはないんだろうなと思う。でも古文の先生がおすすめしてくれた作家の本を読むたびに先生の言葉を思い出すし、一人で映画館にレイトショーを見に行くときは生物の先生のことを思い出している。古文の活用形も生物の単語もひとつも覚えていないけど先生が1人の大人としてわたしにくれた言葉は大事な教訓として心のどこかにずっと残っているような気がする。

インターネット


わたしが今より15年くらい前に生まれてたら全然違う人生を歩んでいたかもしれないなとふと思う。

田舎中の田舎に生まれたうえに日光過敏症を患っていたわたしは家からあまり出ないタイプの幼少時代を過ごしたと思う。自分の力で行ける場所に娯楽がなかった。山や田んぼはあったけれどそういう遊びにはあまり関心がなかった。

両親の教育方針が「百聞は一見に如かず」だったので本当に比較的色々な場所に連れて行ってもらったもののその時の記憶はあまりなく、多感な小学生や中学生の時はほとんど家で本読んだり絵を描いたりピアノを弾いたりギターを弾いたりしていた。

あのままあそこで外の世界を知らずに生きることは十分にありえた。

しかしわたしにはインターネットがあった。小さい頃から自分のパソコンを持たされていたし信頼されていたのか特に規制がなかったので使いたい放題だったしなにをしても大丈夫だった。友達のほとんどはお父さんのパソコンだから何かをダウンロードしたりでしないとか時間の制限があるとか監視されてるからチャットとかできないとかそういう子が多かったような気がする。うちはそういう規制が全くない代わりに「変なことに巻き込まれても知らないから自分で勝手にうまく使え」とのことだった。幼いながらに危なさそうというのはなんとなくわかるものでこれ以上はなんかやばそうとかそういうのは大丈夫だった。小学校の低学年の時からどこかのチャットルームで知らない人と会話したりしていたしだから危険な目に遭ったことはないしぐれたわけでもないし勉強しなかったわけでもないし最近の「スマホを小さい子に持たせると危ない」問題は「人による」んだと思う。

いつも部屋で過ごしていて、田舎で図書館にも1人で行けなくてどこに行くでも親の車に乗せてもらわないとだめで親の言うことが世界の全てだったわたしにとってインターネットはすごく面白い世界だった。どこまでが本当かはよくわからなかったけど、こういう知らない世界をたくさん見せてくれた。

あの頃インターネットで見て「こんな世界があるんだ」と知らなかったらわたしは多分なにも知らずになにもせずにあの家でなにに関心を持つこともなく高卒で近所のスーパーで働いて近所の人と結婚していた気がする。

実際、実家の周りでは近所で結婚したり幼馴染と結婚したり大学に行かない人もめちゃくちゃ多い。

小学生の時はファッションにすごく関心があった。その頃から化粧品にも関心があった。インターネットを開けば世界中のファッションがいつでも見られたし掲示板を見れば都会の女の子たちが当たり前に学校帰りにファッションビルに行って流行の服を買ったり化粧をして街に出るんだということを知った。わたしの住んでいる街には洋服を買うような店はなく、車で40分ほどいくとあるユニーの二階の小さなファッションスペースで買い物をするのが当たり前だった。わたしはいつも都会に憧れていたし学校帰りに遊んだりできる高校生になるのが一番大きい夢だっだ。

中学生の時、音楽が好きで狂ったように音楽のことばかり考えていて毎日いろんな音楽を聞いていろんなアーティストを調べてその人のインタビューを読んで憧れて真似してみてとやっていたのはインターネットがなかったら多分できなかった。

そもそもわたしが行ける範囲にCDを手に入れる手段がない。お金もない。両親が音楽に関心の深いタイプではないのでわたしにインターネットがなかったら音楽を聞く手段がなかったと思う。

高校生でバンドやアイドルにはまった時は、当たり前にライブに行ったり本当に熱心な人は泊まり込みで見に行ったり、韓国まで公演を見に行くような人がいるんだなということを知って田舎育ちには考えられない都会人のフットワークの軽さにびっくりした。わたしは名古屋に出るのにも数千円数時間かかる。

他にもあげればきりがないが、そういう知らない世界を見せてくれて自分もしてみたいなと思えるように小さな夢を与えてくれてわたしをあの田舎から出したのはインターネットだと思う。

インターネットがなかったらどうやってそういう世界の存在を知らずにずっとあそこで生きていたような気がする。

中国にいながらインターネットで日本の情報を得ているとこのありがたさを噛み締めることが多い。そして行きたいイベントや読みたい本があるのに手に入らないもどかしさに遭遇すると実家で生活していた思春期の気持ちが呼び起こされる。

そんなに遠くない昔にインターネットがなかったんだと考えると不思議でしょうがない。

インターネットがある時代に生まれてよかったなと思う。

タイトル保留


何故か天気や季節のことから書きたくなってしまうのは小中学校の時に手紙の書き方で習った「必ず天気や季節の挨拶から書きはじめること」が未だに体に染みついているからなのか、それともなんだかんだ生活の上での感情や体調が天気や季節の移り変わりに大きく左右されているからなのだろうか。こっちに来てからなにをやっても1000円のジェルネイルをしてくれる店を見つけて月に一度くらいのペースでネイルをしているのだが、思い返してみればわたしはデザインや色に季節の雰囲気を取り入れたがるタイプだと思う。秋にはシンプルな深緑とベージュにしてみたり、深めの赤にしてみたり、冬ど真ん中には濃いめの青と白とシルバーだったしクリスマスの時期は赤や白や緑を入れたがったし、冬が終わってはいるのにまだ春がちらつくくらいの時期にはピンベージュ、サクラが咲き始めた頃には桜色のネイルに変えた。今回は今まで見向きもしなかった薄い水色と白のかわいいネイルにした。最近春は終わったものの夏と言うにはまだはやい過ごしやすさと夜の涼しさと前触れなく降る雨がわたしにとってはこの色らしい。親友は季節に関係なく色を選ぶタイプで今回も黒と白とシルバーのキラキラで構成されたフレンチネイルをしていた。この時期に黒をするの?気分と合わなくない?と聞いたら「かわいいじゃん」とのことだった。

 

いつものように二人で並んでネイルをしてもらっていたのだが、彼女はネイル中も文句が多いし表情をころころ変えて悩むので忙しい。フレンチネイルのカーブのかかり具合にも何度も何度も修正を言ったり、色が気に入らないと全部し終わってから変更をしてもらったり、爪の長さからどの指をどの色にするか、ここのパールの位置がどうとか思ってたよりラインが若干上にきてるのが気に入らないとかその度に一喜一憂して「どっちがかわいいと思う?」「やだ!かわいくない!」「さりい!どうしたらいい?!」「さりい!」「わかんないどうしよう!」「あー悩む!」とずっと話している。ちなみにわたしが意見してもあまり聞かず最終的に自分の心の中にあるものを通すのでいつも割と適当に「かわいいじゃん」「大丈夫でしょ」「変わらんて」と言っていたらちょっと前に怒られた。

 

毎度どこかしらが気に入らないようで全部終わった後に「はぁ…気に入らない…ここが…」「わたし一回も満足できたことない…」と言っているのだが今回はなかなか気に入ったようで「きれいじゃない?よくない?」とかなり盛り上がっていた。そういう姿は愛らしくていいなと思う。わたしも思い描いていた色と完成したときの色が違ったり、思っていたより派手になってしまったりあまり満足できたことがなかったのだが今回はかなり満足していたので「めっちゃ気に入ってるからめっちゃ気分いい、テンションが最高」と報告したら「いや一ミリも見てとれんわ」と言われた。

 

そういえば昨日もそんなことがあったような気がする。親友には家族ぐるみでよくしてもらっていて昨日も家に招かれて泊まっていた。親友とお姉ちゃんとその彼氏とその友達とおばさんとおばあちゃんとみんなでカードゲームをやっていた。こんな家族みんなでカードゲームや人生ゲームみたいなもので遊ぶこと自体に感動してしまって、その上日本人のわたしをそこに入れてくれて嫌な顔一つせず、むしろ「さりいも絶対参加ね!!」といってルールを一から丁寧にゆっくりな韓国語で説明してくれて「あぁ…心暖かい…」となっていたのだが盛り上がりかたが本当にはんぱじゃないことにもびっくりした。家族となにかでこんなに盛り上がった記憶がもう長らくない。一番最近でなにがあったかと思いだしてみたけど小学校の低学年の時にサンタさんに貰った人生ゲームやポケモンポンじゃんをやって若干盛り上がったくらいの記憶しかない。何度もいうけれどうちの家族は決して仲が悪いわけじゃないのだけれどそういう遊びで盛り上がった記憶はあんまりなくてすごくびっくりもしたし羨ましくもあったしなによりその輪に自分がいることに困惑しつつも楽しかった。

 

どれくらい盛り上がるかというとカード一枚引くたびにめちゃくちゃ喜んだりめちゃくちゃ怒ったりめちゃくちゃ悲しんだりしているのだ。途中で喧嘩がはじまったり途中で誰かがカードをぶん投げて「むかつく!こんなのもうやってられんやめる!!!」と言ったりそれに対して誰かが爆笑したりとにかくみんなめちゃくちゃ本気だし全力だった。

 

初めてやるゲームだったのに運よくわたしが勝ったときがあった。「さりい、これさりいが勝ったんだよ?わかる!?」と言われたので日本語で「やったー」と言ったらそのやったーがあまりに不自然だったらしく「え、やったーってアッサー(韓国語のやったー)ってことだよね?日本人はやったーをそんな感じでいうの?え?喜んでんのそれ?めっちゃおもしろいんだけど!」といってしばらくみんなに、いい札がきたら無感情無表情で「やったー(棒)」と言うという遊びをされた。ちなみにわたしはその時めちゃくちゃ楽しかったのでそのやったーも結構テンション高めで言ったつもりだった。違うゲームで元気よく「ポン!」と叫ばないといけないゲームがあるらしく、次回はさりいにそれをやらせたらおもしろそうだと盛り上がっていた。

 

その後みんなで食卓を囲んでこれがおいしいとかこれは塩辛いとかうちのお母さんのこの料理は最高なんだよとかみんなで話していてめちゃくちゃ「心暖かい…」だった。高校生の時も帰りが遅くてほどんど一人でご飯を食べていたので長らく家族と食事をとった記憶がないし、4人そろって食べたとしてもお母さんが一方的に自分の話をする形式だったような気がする。みんなで話しながら笑いながらゆっくり食べていたので少し食べたらすごくお腹がいっぱいになってしまっておいしいからもっと食べたいのに食べられなかった。一人で食べる生活が長いせいでわたしは本来食べるのがめちゃくちゃはやいし食べ終わってからもなんとなく満足感が薄かったりする。

 

その後みんなでボーリングに行こうという話になってボーリングをしに行った。びっくりしたのは足の悪いおばあちゃんにまで「一緒に行く?」と当たり前のように聞いてたことだ。おばあちゃんは「犬と留守番しとくわ~」と言っていた。わたしなら多分当たり前のように誘わないけれど当たり前じゃないんだと思った。おばあちゃんの気持ちになってみたらうれしくてなんで自分はしないんだろうと思った。

 

ボーリングはあの家でのゲームよりも何倍も盛り上がった。一本でも倒すと全員がハイタッチするシステムだったしストライクが出たもんならみんなで輪になってジャンプして喜んだしもちろん本気なので負けた人はジュースをおごった。こんなに楽しいボーリングがあるんだということに驚いた。すごく久しぶりに全力で楽しんで笑っていたので疲れているはずなのに体はすっきりしていた。

 

帰り道に女子プロレスがおもしろいという話をしていたのだがそこでもみんなで技がこんなんだとかあんなんだとかやってみたりしてめちゃくちゃ盛り上がった。わたしはただずっとケラケラ笑っていた。

 

考えてみればあの家族や友達たちといる時はいつも無条件に盛り上がってるし楽しいし心があたたかい気がする。なぜわたしはいつも享受する側で、ただその空間でケラケラ笑っているだけなのか、やったーもうまく言えないのだろう。自分に友達があまりいないこととか、家族の雰囲気とか、常になんとなく輪のせいにする癖があるけど、その輪を構成してるのはわたしであってなんでいつも一歩下がってわたしは関係ないようなふりをしてしまうのか本当にわからない。わたしも他人に対してああやって楽しい空間を提供できる側の人になりたいなと思う。でも多分あのお姉さんやその彼氏や友達は楽しい空間を提供している気もサラサラないのだと思う。すごくナチュラルにかつ愛らしくて魅力的で。一人の部屋に戻って自分のネイルを見つめながら、ふとこんなことを考えてまた出口もなく文字にしてみるだけしてみるのだ。