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雷症候群が怖い


恥ずかしながら雷が怖い。最近ただ怖いのではなく本当に怖い。特に光が怖い。ゴロゴロゴロと遠くで鳴ってる感じの時は大丈夫なのだが光が発生し始めるともう急におかしくなる。光った瞬間に身体が反射的にビクッ!としてしまいとっさに両手で耳を塞いでしまう。手は震えている。家にいる時は無条件でイヤフォンをして大音量で安らげる音楽をかけ光が目に入らないように布団に潜る。ただ人前にいる時はそんなことはできないので「雷怖いー」と言いながら出来るだけ冷静なふりをする。いつものテンションで「怖い」というのであまり重大に怖がってるように見られないようだがとんでも怖がっている。冷静に冷静にと心で言い聞かせているので見た感じは冷静だが心臓はバクバクだし出来れば瞬時に布団に潜りたいが布団がなければ誰かに手を繋いどいて欲しいくらいだ。もっと言えば肩を抱いておいて欲しい。最近は傘を差しながら歩いていても瞬間的に耳を塞ぐので傘を落としてしまいまともに歩けない。

小学生の頃は雷が怖くないのが自慢だったのを明確に覚えているしもっと言うと雷を必要以上に怖がるクラスの子達に対して「なにかわいいこぶっとんねん」と思っていたところまでしっかり記憶している。中学生の頃も確かそうだった。高校生の時は人並みにわりと怖かった気がする。大学生になってから布団に潜るようになった。そして今日ついになにかおかしいのではないかと思い始めた。明らかに回を重ねるごとに恐怖心が増大しているしどう考えても酷くなっている。今日は朝から雨が降っていたのだが大学に行くと2限目の後半30分から雷が鳴り始めた。最初はゴロゴロゴロという感じだったので「あぁ雷嫌だなぁどうしよう」という程度だったのだが光始めてから怖くてビクビクしはじめ隣に座っていた韓国人のお姉さんが「さり!?!?どうした!?」と不思議そうな目で見ていたのだが怖くてパッと韓国語も中国語も出てこずに「こわい!」ととにかく必死に耳を塞いでいた。恥ずかしかったので冷静を装い再びシャーペンを握って授業を聞いていたのだが光った瞬間にビクッとしてシャーペンを落としてしまったのでさらに恥ずかしかった。音にびっくりするならまだしもいつも光に反応してしまうので更に変な人に見える。冷静さを取り戻そうととにかく友達何人かにラインで「雷が怖い!!」と連絡した。雷が鳴るときはいつも恐怖心を抱えきれなくなり必ず誰かに「雷怖い!」と連絡するのだが受け取った方は「ハァ?」と思っているだろう。小学生の時クラスで「キャッ!」と耳をふさいでいる子たちにイラついていたくせに21歳になってビクつきながら「雷怖いよー!」と関係ない人たちに連絡するのである。よっぽどイ迷惑な話だ。

人が雷をどれくらい怖がるものなのかよくわからないのだがわたしは人がいなかったら、1人で部屋にいたらもう布団の中でガタガタ震えるくらいなので割と怖がりすぎなほうであると思う。今日の自分の怖がり方に自分でも怖くなってきたのでYahoo!で検索してみると(中国はGoogleが使えない)雷恐怖症というのがあるらしい。

実際に雷恐怖症で苦しんでいる人の悩み相談などを見ていると「雷が怖すぎて天気予報で雷が出ると一週間前から不安で震えて何もできない」というようなことが書いてあった。想像しただけでもかわいそうだし同情する。わからない人には「いや雷そんな落ちないから大丈夫だろ」という感じなのかもしれないがそういうことではない、ただ本当に怖い。恐怖心を理解しているだけにわたしより怖かったらそうなるのも仕方ないと思うし同情せざるをえない。

異常な恐怖感や震え、叫ぶことや心拍の上昇、カーテンを閉めることや布団に潜るなどは当てはまるが吐き気や発汗はないし恐怖症への一つの指標は「天気予報への異常な関心」らしい。わたしの場合はまだそこまではいっていないのでまだ雷恐怖症ではないと思う。

こうなってくると雷恐怖症になることが怖い。さっきも言ったように回を重ねるごとにとにかく恐怖心が増していることを感じるのでもしかしたらなにかの表紙にこうなってしまうかもしれない。ちなみに今日家を出るときに「雷がなったらどうしよう」とひたすら心配していたのでなんとなく兆候はあるようなないような気もする。

ただこればかりは自分の怖がり方が一般的なのかどうなのか、周りの人たちも怖いけど我慢しているのかもしれないしよくわからない。本当に怖いのだが雷がなっているときに「本当に怖いの!」といって人に手を繋いでくれと頼むわけにもいかないし必要異常に怖がっていたら「なにブスがかわいこぶっとんねん」と思われたら嫌なので(どこの心配してんだよ)なかなか素直に怖がれもしないし、かといって怖くて震えるしビクつくしで恥ずかしいやらなにやらとにかく雷がこの世から消えてくれると嬉しい。

わたしは雷以外にもこれは恐怖症と呼んでもいいだろうということがある。友達と話してて意外と共感して貰えたのでわりとそういう人は多いのかもしれないが「人が急に大声を出したりものを叩いたりして大きい音を出す」ことがめちゃくちゃ怖い。当たり前にびっくりするのだがそれだけではなくめちゃくちゃ恐怖心を感じる。これは小学生くらいの時からそうだったような気がする。大きい声で怒鳴るようにして怒るタイプだった先生の顔は一人一人怒鳴り方や怒鳴っている時の表情や声まで明確に覚えているしその時の恐怖心もめちゃくちゃ正確に覚えている。その時はわたしに対して怒っていたわけではないし全部ただその場に居合わせただけなのだが、どれだけ大好きな先生でも大声を出して怒った瞬間に恐怖心が大きくなりすぎて好きという気持ちで見れなかった。特に男の人に対してはもう震えるほど怖い。

ちなみに母親は朝から晩まで大声で怒っていたが(それが普通すぎて慣れすぎていたので恐怖心のかけらもない)父親に大声を出して怒られた記憶は一度もない。わたし自身も大声を出して怒った記憶がない。慣れていないのだろうか?

それが派生して怒ったわけではないけれど男の人に急に大声を出されるとかなり恐怖心を感じる。今よく一緒にいる韓国人や中国人は話してる最中に冗談で「おい!」と大声を出したり机を「バンッ!」と叩いたりするのでめちゃくちゃ怖い。その時は笑っているが心の中は恐怖心でいっぱいだし顔が引きつっているのが自分でもわかる。特に中国人は嬉しい時や待っていた連絡が来た時などにも急に大声を出したり壁を叩いたりするので本当に怖い。

調べてみたら小さい頃のトラウマなどが関係するというようなことが書いてあったが父親にそういう風にされたことは全くないし何が原因なのかよくわからない。ただ小学生の時、先生が軒並み怒鳴って机をバン!とやるタイプの人たちだった気がする。それがわたしのトラウマになっているのだとしたらその先生たちに会いに行って「21歳で男の人の大声が怖いという症状に悩まされている教え子もいるのでこれからもうそういうことをしないで」と言いたい。今考えると小・中学生の時は本当に思い出したくないことばかりだった。先生に叩かれたり殴られたりしたこともないし悪いことをしたら叱られるというのは当たり前の行為だし子供に「叱られる」ということを感じさせるために「大声を出す」ことや「恐怖感を与える」ということはやり方として考えられることだしまぁそれが手っ取り早いというかそういうものなのかもしれないけど少なくともわたしはそういうやり方をする先生たちを心では軽蔑していた気がする。大きい声を出して机を叩いたり椅子を蹴ったり物に当たるのを見た瞬間に「先生」ではなく「狂気的な大人」という見方に変わった。なので思い返すと小中学校の時に好きな先生はいなかった気がする。ただ名前以外のエピソードや声ははっきり覚えている。(わたしは人の名前が激しく覚えられない)

あの時に恐怖心を表に出していたらどうなっていたのだろうか?恐怖心を感じながら心で軽蔑しながらそれでも「先生の目を見ろ!」と言われるので目を見続けていたあの時、「怖い!」と泣いていたらよかったのだろうか?先生は罪悪感を感じて「ごめんな」と言っただろうか、それとも「泣いても無駄だ!」と言っただろうか。

自分がもし子供を育てることになった時に子どもを叱らなければならないことがあると思う。その時にどう叱るのが一番いいのだろうか。わたしは大声を出して狂ったようにブチ切れたことがないので子どもに対してそうやって怒ったりしないと思う。というかしたことがないのでできないと思う。だがそれで子どもが叱られることを覚えるのかもわからないし世の中のお父さんお母さんはどうしてるんだろう?と考えてみたりした。

少なくともわたしはいくら叱る時であっても人に音や行動で恐怖心を与えるようにはなりたくはないなとなんとなく思った。昔から雷親父という言葉があるけれど、わたしは雷も雷親父も怖いので大嫌いだ。