最果ては見たくない

 

小学校一年生の時から考えて10人くらいの担任に出会った計算になる。

田舎だったこともあり常に二クラスしかなく小中は隣のクラスの実質担任のようなものだったのでそう考えるともっと多くの先生に教えてもらった。

他人と比較の仕様がないのでわからないけれど、割と先生を覚えているほうだと思う。名前は全く覚えていないし顏も実はそんなに覚えていないことが多いのだけれど、その先生がどういう話し方をする人だったか、どういう声だったか、どういう服を着ていたか、どういうエピソードがあったかということはかなり鮮明に覚えている。どういう会話をしたかについてはかなりはっきりと場所や空気感と一緒に覚えている。男女年齢幅広くいろいろな先生に教えてもらいどの先生にもあまり迷惑をかけることなく、むしろ頼られるほうで「実はあなただけに相談したいことがあるのだけれど、クラスのこの子の面倒を常に見ておいてほしい」「班をつくる時にこの子があぶれないようにうまくやってほしい」「この子の悩みがなんなのか、なんでこんな行動をするのか聞き出しておいてほしい」などから始まり「実は結婚しようかと思っていてもう学校やめちゃうかも」というのもあったし、今考えるとそんな話をされるほどにませガキだったんだなと思う。個人懇談会はいつも先生のクラス相談会だった。みんなしてそうだったので悩みを聞ける雰囲気が漂っていたのか、先生の悩みの糸口を見つけてつつく、そういう能力にたけていたのかもしれない。わたしなら小学生にそんな話できない気がする。それゆえか学校の先生を「先生」として見る習慣があまりなく、一人の生活のある「大人」として見る癖があった。それ故か先生たちが悩んでいたり大変そうにしているのを見て冷静に「こんな大変な仕事絶対に就きたくないな、先生だけは自分の将来の夢候補から外そう」と思っていた。わたしは個人懇談会で「夢はなに?」と聞かれるたびに「ない」または「はやめに結婚するか会社員」と答えるようなガキたっだのだがわたしの考えと反対に毎年どの先生にも「あなたは学校の先生をするのが本当によく合うと思う。考えてみたら?」と言われた。わたしはその度に「そんな大変そうにしてるの見てるから絶対したくない。先生そんなに大変そうなのにわたしに勧めちゃだめでしょ」と言っていた。とことんませガキだと思う。全然関係ないけど小学校一年生の時に25歳くらいの男の先生が好きだったので本当にいろいろ終わっていると思う。ませガキとしか言いようがない。

一般的に担任の先生は嫌われるもので友達はこぞって「ほんとあの先生嫌い、死ね」と言っていた。特に女の先生は男からも女からも嫌われていた。小学生や中学生は簡単に「死ね」というような年頃なので「仕事してるだけなのにこんなに人に嫌われて死ね死ねいわれるなんてやっぱりこの仕事だけはやめておこう」くらいにしか思っておらず、わたし自身は先生のことを好きでも嫌いでもなかったような気がする。この先生は比較的合うとか合わないとかはあったけれど「先生、大好き!」ということはなかった。だがなぜだか担任が転勤するとか退職するとなったとたんに「でもあの先生ほんとはいい人だったよね」となりはじめるのがしきたりになっていてみんなで色紙を書いてお別れ会で先生が泣くというのも恒例だった。わたしは自分に「死ね」と言ってきた人に対してそんな簡単には泣けないなと思った。多分憎しみが勝つ。生徒からめちゃくちゃひどいいじめに遭っていた女の先生がいたのだが30歳を前にして結婚を理由に退職した。その時もみんなに「あんな風にしてしまってごめんなさい、でも本当に感謝しているし今では大好き!」などと言われて泣いていたのだがわたしには解放からの涙に思えた。わたしは「お疲れさまでした」と共に「うまく逃げれたな」とも思った。小学生のわたしから見てもうつ病寸前みたいな状態になっていたので結婚という逃げがあってよかったなと思った。多分あのまま戦い続けていたら病んでしまっていたと思う。いつも原色ピンクのぴったりしたスポーツウェアを着ていて似合わない濃い赤の口紅をしていた。怒るとすぐ声が震えて目に涙が溜まる、すごく女っぽい性格の女の人だった。

 

どの先生に対してもそんなに思い入れはないのだが高校で担任してもらった二人の先生だけはすごく「好き」だったし今も好きだ。一人は一二年で担任をしてもらった女のお母さんよりちょっと上くらいの年齢の古文の先生で、もう一人はお父さんよりちょっと上くらいの年齢の男の生物の先生だ。その二人の先生をとりわけ仲がよかったわけでもないし、仲良くしたくて職員室に通った覚えもないしその二人の授業もまじめに受けていなかったので(古文は得意だったので特に聞かなかったし生物は苦手だったので寝てた)何が理由でそう思うのか考えてみたところその二人は「先生」ではなかったしわたしを「生徒」と思っていなかったような気がする。みんなに人気だった数学や英語の学年主任の先生たちはすごく「先生」だったし「先生」であろうとしているように見えた。職業を全うしている仕事熱心な大人だった。反対にわたしの好きな先生二人は仕事にあまり執着していなくて自分の人生を生きているような雰囲気がある人だった。

 

特に仲良くしていたわけではないのでエピソードがそんなにないのだけれど個人面談はすごく楽しい時間だった。高校の個人面談は普通、成績のことをあれこれ言われたり進路はどうするんだと迫られたり楽しいものではないはずだ。特にわたしが通っていた高校は進学校だったので個人面談はどこもわりとぴりぴりしていたのではないかと思う。ただその二人の先生は「先生」ではなかったので成績のことをこっちから持ち出さなければそんなにその話をしなかった。というか先生もわたしも「やらなければできないしやるしかないし近道をする方法は特にない」ことくらいわかりきっているし、わたしがそれをちゃんとわかっていることもわかっていたのだと思う。古文の先生とは面談する度におすすめの作家を紹介しあって感想を報告するというのをやっていた。あとは「現代文のあの問題、ちょっとないよね」とか「この作家はこういう書き方するから問題にしやすそう」」とか「どこ大学の問題はそもそも正解を書かせる気はあるのか」とかそういう話をしていた気がする。生物の先生は進路についてアドバイスをする気はさらさらなく、生徒の迷いながら下した決定に「いいね!」と軽く答えることで背中を押すスタイルだったのでわたしがセンター試験に失敗して突然「中国語やろうかな」と言った時も「いいね~」と言っていた。あとはお互いに最近見た映画を報告しあってあの監督はいいとか癖が強くて見る側も大変とか、でも見てみるとやっぱり深いよねとかそういう話をしていた。最近先生が言ったバイクツーリングの話とかそこで食べたおいしいものの話をしていた。東京の大学の社会学科に入りたかったのにセンター後に突然中国語をやる方向に転換したときもその話はさらっと終えて一人暮らしの楽しさとどのバイトが効率がいいかというような話をしていた。その時先生が「バイトをいくつもやるのはいいけどあまりバイトに自分を消費されるな」というようなことを言っていたような気がする。にこにこしていてすごく穏やかに話すので気づきづらいけれどすごく重要な言葉をさらっとくれる人だった。いつも最後に「じゃ、がんばれよ~」とパーティーパックのガーナチョコを一つくれるのでそのチョコを写真に撮ってすぐに食べるのが好きだった。

 

二人ともわたしを生徒として見ていたわけではなく、普通に大人同士でカフェで楽しく会話をするように話してくれたような気がする。他の生徒に対してどうだったのかはよく知らないけれど多分わたしが成績に関してあまり興味を示していなくて、「もっと上に行きたい!」「成績を上げるにはどうしたらいいですか?」「この大学に行けますか?」ということを聞かなかったから余計にだと思う。「やりたいことはないのか?」と聞かれると「興味のある分野はふわっとあるからそこに関われればいいけどその分野に関わるための道を考えると難しそう」と言ったら「たしかに」と納得していた。多分他の先生なら「あきらめるな!」「まだ若い!」などと言うかもしれないけどその二人の先生は「まあ生きてたら偶然関われるかもしれないしね」くらいな感じだった。

 

古文の先生と面談をしていた時に「一生懸命やってみるのが怖いからやりたくない」と言ったことがある。「どういうこと?」と言われたので「限界値までやって目標が達成できなかった時に自分の限界を見たようですごく悲しくなりそうだから」「自分の限界を知ってしまったらその後が閉ざされそう」「本当に没頭してる人ははたから見るとちょっと狂気的だから自分がその状態になっていると考えると怖い」と言ったら「あんたおもしろいこと言うね。なんとなく言いたいことはわかるけど一回やってみればいいじゃん、意外と大丈夫かもよ」と言われた。いまだに一生懸命なにかをできない自分への言い訳として「怖いからやりたくないだけ」なんてことを考えてしまう時にふと先生の「一回やってみればいいじゃん」がよぎる。あれから何年もたっているのにわたしは全く変わっていない。

 

生物の先生は面談の度に「お前は都会に出るのがいいと思う」と言っていた。わたしの何を知ってるんだ?なんでそんなこというんだろう?と思っていたのだが毎度毎度「都会に出るべきだ、お前は」とすごく言われた。大学受験に失敗した(正確には盛大に失敗しないように自ら希望していた道を閉ざした)ので都会にいけなかったけれどたまにその言葉が頭をよぎる。

 

若いとき、特に多感な時期にはどれだけいい大人に出会って話をするかが大事だとよく聞くけれどわたしにとってあの先生二人はその「いい大人」だった気がする。一年前?二年前?に文化祭で母校に行き、その二人に会った。古文の先生は「あら、中国行くの~」と笑っていて生物の先生とは最近見た映画で一番おもしろかった映画が一致して盛り上がった。そういう大人にあれ以来出会っていないので、たまに会って今のわたしを報告をしたくなる時があるけど、もう多分会うことはないんだろうなと思う。でも古文の先生がおすすめしてくれた作家の本を読むたびに先生の言葉を思い出すし、一人で映画館にレイトショーを見に行くときは生物の先生のことを思い出している。古文の活用形も生物の単語もひとつも覚えていないけど先生が1人の大人としてわたしにくれた言葉は大事な教訓として心のどこかにずっと残っているような気がする。