わたし個人のはなし

 

 

Twitterを使い始めて何年になるのかわからないけれどこれほどに頻繁に生活の一部として使い続けて依存しているSNSは他にない。

新しいもの好きなので他のSNSも一通りやってみたが結局Twitterが一番あっているようだ。

Twitterの好きなところはリツイートで全く違う世界の、特に自ら知ろうとしなかった、存在さえ知らなかったジャンルやコミュニティや人の発言がちらりと目に触れて「おっ?」となれるところだと思う。そういう世界をちらりと除いて「ほう」となるのがすごく新鮮で楽しい。

 

最近、「整形・美貌垢」というジャンルのアカウントがすごくたくさんあることを知って驚いた。気になってある人をフォローして見たら関連してそういうジャンルのアカウントがすごくたくさん出た。ツイートに関するすべてが自分の外見に関する嘆きで朝から晩まで、起きてから寝るまで、夢の中までさえも外見に関することをツイートしているのである。ツイートしているということは考えているにイコールすると思っているのでそういう人たちはもう一日中、「なんでこんなにブスなのか」「整形するお金のためにバイトいこう」「しんどいけどここで食べたらもっとデブに磨きがかかって死ぬ」「なんでかわいく生まれなかったのか」そういうこともう、ずっと、ずっと考えているのだと思う。

 

更に驚いたのが、そういう人たちは他人の全ての他人や行動を自分の外見に結びつけるようなツイートをしているのだ。「友達と話しててこういうことがあったんだけどブスでごめんね」とか、「こういう服似合いそうって言われたんだけどそれってデブってことだよね」とか、すごく冷静に見たら「落としどころそこ!?」という感じだ。しかし彼女たちは美に関する他人の発言に何よりも敏感なのである。少し病的なくらいだ。しかし彼女たちの身長や体重、あるいは顔写真を見たりすると普通にかわいい。普通にかわいいのだが、過去がどうだったかはわからないし一度そういうループに入ってしまったら誰にかわいいといわれても自分が納得できないかぎりは「ブスの自分」からは脱却できないんだろうと思う。

 

かく言うわたしも、外見のコンプレックスにすごく苦しんで生きてきたタイプだと思う。これも他人と比べようがないので「いやそのレベルで何が苦しみだよ」という人もいるかもしれないし「美アカウント」を持つような人を見てしまうと「わたしなんてなんてことねえな…」と思ったりもするのだが上には上がいるのでそこは置いておくとして、自分のツイートを見返してみたら外見に関するツイートがとにかく多い。起きてから寝るまでとは言わないがわたしの場合、起きて鏡をみて「ああ…」と落ち込み、化粧をしては「してもこれかい…」と落ち込み、化粧がのらない日には「外出たくない…」という状況になり、着る服が気に入らなければその日一日帰りたくてしょうがない。外にでて鏡を見てはテンションダダ下がり、お腹がすいては食べるか食べないか葛藤し、食べるたびに反省して落ち込む。一般的な人が鏡を見てどれくらい落ち込むのか全く知らないがわたしの場合は見るたびに「はぁ…」である。自分以外の人が全員美人だと本当に思っているのでブスで売っている女芸人を見ても「きれいやん…」「愛嬌あってかわいいやん…」「わたしより全然いいじゃん…」と思っている。ただオカリナだけは許さない。(着飾ろうとしていない人に対してめちゃくちゃ厳しい)

 

最近まで写真が本当に嫌いで(自分が一番ブスだから)基本的に現像して落ち込んで捨てるのパターンだった。ちなみに高校の卒業式の写真も太りすぎていて見るたびに吐き気がするので捨てた。写真を撮られるのが嫌で拒絶するというわけではなくて現像された写真を見るのが嫌いだ。写真が嫌いなのは小さいころからである。今でも鮮明に覚えているのだが、保育園くらいまでわたしの写真は全て唇を見せていない。リップを塗ったあとに「んーまっ」とする「んー」の状態で写っている。理由は親に「歯並びが汚い」と言われていてそれがコンプレックスだったのでそうしていた。そうやれば歯並びが見えないので変に写らないと思っていた。のだが、ある日親に「あんたいっつもこの口で写っててばかみたい」みたいなことを半笑いで言われたのですごく落ちこんでそれ以来やめた。

 

小学生の時はとにかく自分がデブだと思っていた。今写真を見返してみると、骨格の細いひょろひょろ体型ではないものの別にデブなことはないし、いたって普通であるのだが親にデブだと言われて育ってきたのでデブだと思っていた。あと男の子たちと中いいが故にずっとブスと呼ばれていたのでめちゃくちゃ傷ついてはいたものの、わたしになら言ってもいいみたいな雰囲気が漂っていたし、それをネタにするキャラが確立してしまっていたため「うるせー!」と言って笑っていた。

和太鼓の関係でグループ専属カメラマンがいて写真を撮られることが多かったのだが自分だけが本当にかわいくなくていつもはずかしかった。

 

中学生の時はとにかくニキビに悩んだ。化粧もできないしなにを塗っても治らないし朝から晩までニキビのことばっかり考えていたような気がする。あとある男の子に「それどうにかしろよ気持ち悪い」と言われて帰り道に泣いたような覚えがある。その男の子が当時からの彼女とずっと付き合っているのにも関わらずこの前成人式で中学生ぶりに会った時に言い寄ってきてびっくりした。わたしはその時のことが頭によぎったので内心「きたねえ肌は化粧で隠してんだよ、お前の発言今でも憶えてるからな!」と思った。書きながら痛感してるけどわたしまじで歪んでんな。ていうかその前に彼女いるのに言い寄ってくるな。

 

高校の話をするとわりと最近だし今いる友達も高校の友達が多いので恥ずかしいのだが書く。高校に入ってからはライブハウスで人前に立つことが増えたのだかとにかく自分の外見に自信がなかった。ボーカルがフロントマンとしてどれだけ大事なのか、特に女性ボーカルはどれだけかわいいかが、雰囲気があるか、さまになるかが大事なのかということを痛いほどにわかっていたのでとにかくそこが気になった。小さいライブハウスで演奏するくらいだったものの、他のバンドの女性ボーカルは正直歌はどうでもよくてみんなかわいかった。歌は練習すればいいけれどかわいさは練習でどうにもならないことが気になってそこばかり気になっていた。

 

なぜこんな風になってしまったのか、実際ブスなのでしょうがないといえばしょうがないのだがブスがみんなこんな卑屈になっているわけではない。

 

この年になって親のせいにするのはみっともないから嫌なのだがやっぱり親のおかげだと思う。小さいころから親にデブ、ブスと言われ続けて育ってきたし、今でも実家に帰ると「ひどい肌だなおい」「痩せろ」と言われ親の前で体重計にのらされ「うわ~デブ~」と言われるありさまだ。冷静にひでえ家族だなおい。愛情表現だということもわかりつついまだに本当に傷ついているのでもうそろそろやめてほしいなと思う。

 

便乗してもう一つ親にせいにさせてほしいことがある。わたしの趣味がすべて中途半端なことだ。わたしは小さい頃から習いごとをたくさんさせてもらったが全部親の言葉に傷ついて辞めた。スイミングや体操教室はわたしがやりたくなくて「やめさせてください」と頼んだものの、好きだったピアノやそろばん、習字、絵は親に言われた言葉で辞めてしまった。多分親はその言葉を言ったことすらも覚えていないだろし本当に何の気のない言葉だと思う。

 

そろばんは確かそろばんコンクールで二位を連続とっていたにも関わらず「一位とれないならやめたら?」と言われ、絵はコンクールで賞を貰ったお気に入りの絵を部屋に飾っていたら「その絵気持ち悪いから捨てて」と言われてゴミ箱にぶっこまれた時に辞めるのを決断したし、ピアノに関しては学校から夕方に帰ってくるにも関わらず「うるさいから夕方以降は弾くな」といわれて真夏に雨戸とカーテンを閉めて他の部屋に聞こえないように消音ペダルを踏んで泣きながら練習していたが「才能ないならレッスン代もったいないからもうやめなよ」と言われて辞めた。あと小さい頃に「歌ってる声が気持ち悪いから歌うな」と言われたことが何度かあるので(シチュエーションまではっきり覚えてるから怖い)歌うことがずっと好きだったけどずっと「気持ち悪い声だな」と思っている。文章は高校生の時になにかに応募したものが親の手元にわたってしまって(PTAだったから?)「わけわからん」という感想をいただいた。本当にわけわからん文章しか書けません。

 

何故親がそんな風にしたのか理由はわかっている。親の教育方針が「褒めるな、褒めると伸びない」だったからだ。それ親の口から何度も説明された。「弟は褒めたら褒めた分頑張るから伸びるけど、あんたは褒めるとそこで満足するから伸びない」というやり方をとっていると何度も何度も聞いた。記憶では褒められたことが2回くらいしかない。弟は何をやっても褒められるのにわたしは何をやっても褒められないので途中から全部辞めたくなった。

 

どれもこれも「別にそんなことで…」と思うのだがわたしにとってはすごく親の言葉が呪縛のようになっていてそれでも続けようという風に思えなかった。全部辞めてしまったので、辞めれたので大丈夫ではあるけれど、自分の外見だけは辞められないのでいまだにこんなあほみたいに悩んでいるのだと思う。

 

大学生になってからはほんのたまにだけ母親と連絡をとる。子供みたいではあるが連絡する度にわたしは親に自分を褒めさせようと仕向ける。「一ヶ月のうち3日しかバイト休んでないよ」「夜中までバイトするけど明日は朝から学校だよ」「仕送りないから今月わりときつかったよ」「最近机によくむかってるから片頭痛がひどくなったよ」など苦労している感をガンガンアピールしていく。(事実ではある)わたしの期待する返事は「大丈夫?」という心配か「頑張ったね」という褒めなのだが毎度母親は「お金つかいすぎてんじゃない?」「姿勢が悪いから頭痛くなるんじゃない?」「ちょっとは運動したら?」「お母さんはバイトが忙しくて大変ですがあんたの学費とかあるし働きます」などという返事をしてくる。本当はそこで母親を気遣えるような余裕がわたしにあるのが理想なのだがわたしにまだその余裕はない。「わたしの心配をしろよ!」と心の中でキレて「そっか」と返事をする。21歳とは思えない。

 

つい一週間くらい前に母親に連絡をとった。最初は日本に送る荷物の話をしていたのだが途中からどうにか褒められようと「最近韓国語がわりと上達してきたよ~」と送った。母親からは「中国に行ったんだから中国語やりなさいよ。中国留学しといて中国語ができないなんて…」という返事がきた。その後就職した弟の「自慢の息子話」を長文で送り付けてきたのでむかつきすぎてその場でトークルームを削除した。事実でしかないので、もう本当になんとも言えないけれどうちの親にとっては「金がかかる将来の見えない姉と既にお金を稼いでいる親孝行な弟」でしかないのだ。最近いとこがめちゃくちゃ若くして子供を産んだこともあり「わたしはいつになったら孫の顏が見られるのか」と言われるものめちゃくちゃつらい。就職するために、お金を稼ぐためにこうやってひとつでも多くの言語を習得したくてもがいているのに「孫の顏」とか言われたらもうなんなんだよってなる。親にとっての望みがそれならどう頑張ってもそこにたどりつくまでは親孝行の娘にはなれないだろう。

 

いつまでこんなことをしているのだろうかと思う。21歳にもなって「親に褒められたい」とか「親に言われた言葉が」なんてことを言っているのはもうナンセンスだし最近基そんなことばっかり言っているしだいたいの悩みをたどると全部そこにたどりつくのもあほらしい。いい加減ここらへんで決着をつけたい。決着をつけたいのだがつけかたがわからない。今回ばかりは「親に言われたから」なんてあほな理由で今の勉強をやめるつもりもさらさらないしもちろんこのままどっちの言語もより頑張って身に着けたいと思っているけれどそれでもなんか腑に落ちない。

こういう個人的な、しかも人に見せるべきではないものをこうやってここに書くのにはわりと悩んだし考えたけれど、それでも一度、このタイミングでどうにか言葉にしてみて書いてみて自分の外に出してみる必要があると思った。

 

書いたことでなんの解決にもならなかったけど、本当にもうそろそろどうにかしたい。7月からまた実家で住まなければいけないので日本に帰りたいのに帰りたくなくなってきた。こっちにいる間に折り合いをつけたい。