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一日の終わりに

中国から帰ってきて二週間ちょっとがすぎた。まだ二週間かというような気もするし、二週間もなにもしないでよく生きれたなという気もする。

 

空港の帰国ゲートでわたしを見た瞬間に「パンパンだね」と言い、空港から家に帰るまでの車の中でわたしの一年間について聞くこともなく近所の子どもが成績が悪くて入る高校がないことを「どうするんだろうね」と気持ちを全く感じない口調で言っていたお母さんとずっと家にいるなんて不可能だろうと思っていたし、そのことを心配して帰国の三カ月前からぐったりしていたけれど二週間は意外と大丈夫だった。

 

弟は社会人になって髪を染めてパーマをかけて、とっくの昔に免許を取って車に乗っていてこの前はボーナスをもらって家族を焼肉に連れていってくれた。

 

お父さんは相変わらずグレーのつなぎとチョコレート色のニューバランスのスニーカーで仕事に行き、夕方になると帰ってきて部屋を真っ暗にしてパソコンの前に寝転がりながら韓国ドラマを見ていた。

 

わたしが大学生になる時にわたしの部屋を母親に譲ったのでわたしの部屋はもうなくて、今は弟の部屋に布団を敷いて寝る時だけ弟の部屋で一緒に寝ている。ドレッサーにわたしの化粧品を置くすぺーすはないし、わたしの荷物(といっても結局本くらいしかないんだけど)は物置きの隅っこの棚に全部入れた。友達にはリビングないの?とかいろいろ言われるけれど、あいにくみんなが想像するような家ではなくてどっちかっていとサマーウォーズにでてくるような縁側付きの田舎の家のもっともっと小さいバージョンの家なのでキッチンというよりは台所だし、台所にご飯が食べられるくらいの大きさの机がきつく収まっているだけでダイニングというようなスペースもないしリビングもないので基本的には台所の大きめの机にずっといる。

 

小さい家とはいえかなり小さい頃から一人部屋を与えられていて一人の自分の空間がずっとあったし一人暮らしをしていたのも三年半くらいにはなっていたので、物理的に自分の場所がないというのがなんとなく慣れなくて不安定だ。この家ではわたし専用のコンセントもないから誰かの部屋の使っていない扇風機やドライヤーのコンセントを抜いてはアイフォンを充電する。もし使えるコンセントを発見できなかったら携帯充電器を家の中で使う。自分の部屋がなくて自分のものを置いておくスペースがないから常に使いたくて常に目に見えるところに置いておきたいハンドバックやリップや財布や充電器や薬なんかはリュックにつめて台所のわたしがご飯を食べる椅子の上に置いておくことにした。

 

母親の部屋で寝ることも検討したけれど9時には部屋を暗くして布団に入っているのでその生活にはさすがに合わせられない。弟がかなり優しいので社会人になってまで自分の部屋で姉が布団を敷いて寝ていようが「別にいいよ」というし、次の日の仕事で早起きしなきゃならなくても「電気ついてても寝れるから気にしなくていいよ」という。自分のスペースがないから置いておく場所がなくて弟の机はわたしの教材や本で既にいっぱいになっていて、かなりきれい好きの弟からしたら多分嫌な気持ちだろうけどそんなことは絶対に言わない。申し訳ないやらありがたいやらではあるが、ふとした瞬間に複雑な気持ちが押し寄せる。

 

帰国後、大学に提出する書類もすぐに作って携帯ショップにも行って携帯を復活させて特に必要なことも買いたいものもなかったわたしは、中国にいる時に切望していた読書と映画鑑賞に精を出した。多分二週間で16冊の本と12本の映画を見たと思う。朝っぱらから掃除機の音に邪魔されながら映画を見るのもあれだし、こんな暑い真夏の昼間に扇風機一つつけて縁側で本を読むのも飽きたのでやっぱり一番集中できる家族が寝静まってからの夜にひっそりとパソコンを付けてDVDを見たり、枕元に設置した小さな間接照明の光で小説の世界に胸を躍らせるのが一番落ち着く。

 

12月から就活がはじまるっていうから自分のやりたい仕事や将来について考えるけれど理想はあっても全く現実味がなくてすぐにわからなくなってしまう。

 

食卓の話題は区の祭りの参加人数が少なくなって来年から行えないかもしれないことについての解決策とか、裏の家のおばあちゃんの具合が悪いとことか、弟の同級生の家が離婚危機で奥さんから相談を受けたとか、そういう話題が永久に続いて、テレビからは都庁の候補者の話題が永遠と流れていてそれに対してこの間の選挙に行かなかったお母さんが的外れな意見を言ったりしていてわたしにはそういうことがずっと続いていく生活がとにかく悲しく思えて、でもわたしの家族がそういう生活をこれからもここで続けていくのにわたしだけそこから抜け出そうとしていることをどうなんだろうと思ったり、そもそも今の生活がとても嫌で抜け出したいことなんて家族は全く気付いていなくて混乱する。

 

喪中の人が多くて今年は参加者が少ないから、わたしたちが行かないと本当に人がいなくなってしまうからと家族全員で参加するとになった区のお祭りに行くとなぜかみんなわたしが中国に行っていたことを知っていて、「どうだった?」「中国語ペラペラなの?」「これから大きい企業に入るの?」と口をそろえて聞いてきた。「まだ何も考えてなくて」と答えると近所のおばさんに「町役場で中国語講座の先生をやったら?」と提案された。

 

さっき、図書館で見かけて懐かしくなって借りた嶽本野ばらのエミリーを読み返していたらその中のコルセットという話の中でイラストレーターをする男の人に病院の受付をする女の人が、生きている世界の違いみたいなことを丁寧に説明しようとしているシーンであまりにも頷きすぎて共感してしまい、わたしも隣町の歯医者さんの受付するお姉さんになることを考えた。

 

Twitterを見ればいろいろな人の生活を簡単に覗き見することができて、あぁ、こんな風に生きてるひともいるんだ、と思う。特に人生の成功者みたいな人たちは同じ大学生でも投資のやり方を教えていたり、noteで成功論を語ってお金を稼いでいたり、誰かにごちそうしてもらった高級料理の写真を載せていたり、なんかそういう世界がすごく当たり前にあることにびっくりする。知らなければよかったのかもしれないと思ったり、知れてよかったなと思うような気もする。そしてそれから、やっぱりわたしはコルセットの中に登場する病院の受付の女の子になる。

 

この二週間ですっかり父親から「海外で一年遊んで帰ってきて毎日ダラダラしていい身分だね」「車に乗れないから社会人になれない」「大学入ってからのバイト代はどこに消えたんだ(もちろん留学の費用に全部消えた)」なんていう言葉をさらっと浴びせら、母親には「孫の顔がみたい」「なんでもいいから痩せろ」と言われ、ツムツムをするわたしの横で弟が親に生活費を収めるのを気付かないふりしてまた今日も弟が眠りについてから小さい明りで本を読むくらいしかすることがない。

 

大学生になってからわたしなりにそれなりに一生懸命やってきたつもりだけど、こうやって二週間ダラダラしただけで家の中での精神的居場所もどんどん削られていく気がする。何かに対して突き進んでみたいのに何に向かえばいいのか全くわからない。一日の終わりにそんなことをもやっと考えながら、整理するために一度文字に起こしてみた。

 

最近家にずっといるからかわかんないけど、花火やイルミネーションで特に何も感じないタイプだったのに、この前浴衣を着て友達と花火大会に行ったら花火がきれいですごく感動したし今日見た映画のドレスがきれいでデザイナーに感情移入してちょっと泣きそうになった。じっとしてたら感性研ぎ澄まされるのかもしれない。今週末から近所のおじいちゃんたちに混ざって朝から6時間半、炎天下で駐車場の呼び込みのバイトをすることになった。心配しすぎかもしれないけど、日焼けしてはいけない体質のおかげで小さい頃から長時間外にいた経験がないし本当に体力がないから途中で死なないか本気で心配してる。まあそんな心配、だから何って話なんだけど。